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概要

広報ながれやま

3 流山の地名特集 第1520号 平成31年1月1日?地名の逆輸入?分譲住宅の名前が地名に今も残る昔の村名「八木」「新川」県を受けて葛飾県が廃止され、新たに成立した印旛県に市域の全てが含まれました。さらに明治6年(1873年)、印旛県と木更津県が統合されて千葉県となりました。なお、千葉県がほぼ今の県域になるのは明治8年(1875年)です。明治の大合併を受け流山市域は一町二村に 明治21年(1888年)、近代的な行政単位としての市町村を作ることを目的として市制町村制が公布されると、全国的に町村合併が行われ、町村数が約5分の1に減りました。これは「明治の大合併」と呼ばれています。 明治22年(1889年)、流山市域には「流山町」「八木村」「新川村」の一町二村が成立しました。「流山町」は6つの村が合併。そのうち「流山村」が最も大きく、有名だったことから新町名に決まりました。「八木村」は18の村が合併。鎌倉時代の「八木郷」から新村名をとりました。「新川村」は17の村が合併。江戸時代に江戸川の改修が行われて以来、新しい川筋が通ったという意味で「新川」と呼ばれた地域であることから、新村名に命名されました。それぞれの町村に組み込まれた旧村は、村ではなく「大字」という単位になりました。昭和の大合併に先駆けて一町二村から流山町へ 戦後、市町村の行政事務の増大に伴い、市町村の規模を大きくするため、昭和28年(1953年)に町村合併促進法が、昭和31年(1956年)に新市町村建設促進法が施行されました。これにより全国的に市町村の合併が促され、1万ほどあった市町村が約3分の1に減りました。これは「昭和の大合併」と呼ばれています。 流山市域では、これに先駆けて合併の動きが始まりました。昭和25年(1950年)に発足した合併促進協議会で協議を重ねた結果、昭和26年(1951年)に流山町・八木村・新川村が合併し「江戸川町」が誕生しました。対等な合併のため、どの町名・村名にも関係がない新町名として、地域の西側を流れる江戸川にちなみ命名されました。しかし翌年の昭和27年(1952年)には早くも「流山町」に町名が変更されました。この慌ただしい変更の理由は、東京都江戸川区としばしば混同されることがあったためと伝えられています。 新しく誕生した流山町は、全て明治以来続く41の大字で構成されました。昭和33年(1958年)には明治以降初めてとなる新しい字「江戸川台」が誕生し(2カ月後に「江戸川台東」「江戸川台西」に)、昭和36年(1961年)には「松ケ丘」が、昭和40年(1965年)には「平和台」が誕生しました。 これらの字の新設は新しい住宅街の開発に併せて行われ、住民からの公募などで字名を決めました(別表参照)。流山市の誕生と字の新設ラッシュ 昭和42年(1967年)1月1日、県下20番目の市として流山市が誕生しました。市制施行後、昭和40年代には字の新設と区域の変更が頻繁になります。 昭和43年(1968年)に「東初石」「西初石」「若葉台」が、昭和45年(1970年)に「こうのす台」「富士見台」が誕生しました。 昭和46年(1971年)には「美田」、「青田新田」「駒木新田」「十太夫新田」から「新田」の文字が削られた「青田」「駒木」「十太夫」、「西松ケ丘」が誕生しました。 昭和50年(1975年)に「宮園」、昭和63年(1988年)に「南流山」、平成元年(1989年)に「向小金」、平成4年(1992年)に「美原」が誕生しました。流山の地名のこれから 戦後、流山では18の字が誕生し、7つの字が姿を消しました。現在は52の字名があり、丁目がある字を数えると121にもなります。 今年5月には流山おおたかの森駅周辺で新しい字「おおたかの森」の誕生が予定されており、今後も流山の地名はその歴史とともに変化を続けていくことでしょう。 地名は大切な文化遺産です。地名の由来や歴史を知っていただくことで、今ある地名だけでなく、かつての地名やこれから誕生する地名が、末永く愛されることを願います。八木村新川村流山町「葛飾県印旛県史跡の碑」葛飾県と印旛県の県庁は、…一時期を除いて流山市域の加村(今の加)に置かれた誕生した字字名由来など字名由来など江戸川台東地域の開発を手掛けた千葉県住宅協会が公募して決定。地域の西側を流れる江江戸川台西 戸川にちなむという松ケ丘流山町が住民の希望を募って決定。松が多く生えていたことにちなむという平和台流山町が公募して決定。地域の開発を手掛けた業者名にもちなむという東初石旧字名「初石新田」から西初石若葉台分譲住宅販売時の名称「若葉台」からこうのす台当時の広報ながれやまに「古い伝統と由緒ある歴史をもつ従来の字名をそこなわない、親しまれ愛される」名称富士見台 にしたと記されている美田地域が3つの字の田園地帯で構成されたことにちなむという青田旧字名「青田新田」から駒木台旧字名「駒木新田」から十太夫旧字名「十太夫新田」から西松ケ丘松ケ丘の西にあるため宮園思井・中土地区画整理事業の区画整理組合が住民から公募して決定。分譲住宅販売時の「流山みやぞの」にちなむ南流山流山の南にあるため向小金旧字名「向小金新田」から美原「美しい台地」の意味か姿を消した字初石新田、青田新田、駒木新田、十太夫新田、大畔新田、向小金新田、平方原新田 昭和42年(1967年)の市制施行後、昭和40年代には、新しい住宅街の開発に伴い字の新設が相次ぎました。字名を決める際は公募などで住民の意見を集め、それまでの地名とは関係のない名前が付けられることも多くありました。 昭和43年(1968年)に誕生した「若葉台」の由来は、少し珍しいものとなっています。当時、字名の決定前に同地区で分譲住宅の販売が始まり、「若葉台住宅地」という名前で販売されました。この住宅地の名前が、ほどなく字名に採用されることとなったのです。 明治22年(1889年)に誕生した流山市域の「流山町」「八木村」「新川村」。昭和26年(1951年)にこの一町二村が合併して「江戸川町(翌年「流山町」に変更)」になったため、流山の地名から「八木」「新川」はなくなりました。 しかし、その名前は地名とは異なる形で現在まで残っています。中野久木にある新川小学校、芝崎にある八木南小学校、美田にある八木北小学校、古間木にある八木中学校の学校名には当時の村名が付けられ、今も地域の方々や子どもたちに愛されています。 また、学校名のほか、郵便局名などにも名前が残されています。若葉台分譲のパンフレット(昭和42年)昔の村名が付けられた郵便局名はバス停名にもなっている「一町二村」の時代の流山市域。村名は今でも学校名などに残る戦後に誕生した字、姿を消した字