ブックタイトル広報ながれやま
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広報ながれやま
掲載記事へのお問い合わせの際は、電話番号の押し間違えのないようにお願いします。ID =ページID(市ホームページのトップページ古紙70%再生紙、 植物油インキ使用 で入力すると、関連ページがすぐに見られます)第1488号 平成30年2月11日? 特集:流山の歴史と文化 4企画展「まちづくりのヒストリア 歩いて・掘って・調べて・わかる」 つくばエクスプレス沿線開発が進む流山おおたかの森駅周辺。今では都会的な街並みが広がっていますが、昔はどのような場所だったのでしょうか。 江戸時代、流山おおたかの森駅周辺は、小金牧と呼ばれる徳川幕府直営の牧として馬が放牧され、軍馬の生産地となっていました。牧と村の境には、馬の進入を防ぐ野の馬ま除よけ土どて手と呼ばれる土手が築かれました。現在でも流山おおたかの森駅東口から徒歩5分ほどの場所に見ることができます。おおたかの森 江戸時代は馬の放牧地に古代のまちづくり史 千葉県北西部の11市が協力して、縄文時代から現代までの展示を行っています。縄文時代の集落やお墓、流山市の鰭ケ崎三本松古墳、戦時中の施設などさまざまなまちづくりに迫ります。日開催中?3月11日? 9時30分?17時※2月13日・28日および月曜休館(2月12日は開館)所博物館 費無料【 学芸員による展示解説】日2月24日?、3月4日? いずれも11時から【 講演会 鰭ケ崎三本松古墳に迫る】① 日2月24日?13時30分から 講筑波大学准教授・滝沢誠さん 内古墳の副葬品について 申電話② 日3月4日?13時から 講市立博物館学芸員 ほか 内古墳の調査成果と周辺地域の埴はに輪わ 申電話 問博物館?7159-3434住居跡(市野谷宮尻遺跡)[公益財団法人千葉県教育振興財団承諾]現在も残る野馬除土手の跡(十太夫)。木々の根元に小高い堤が見られる井崎市長からのメッセージ 意外に思われるかもしれませんが、流山市には、新選組や小林一茶といった日本史上に名を残す著名人ゆかりの地があります。また、先人たちがこの地で紡いだ歴史をひもとく文化財などもたくさん残っています。それらはいずれも、当時の流山を知るための貴重な史料です。 私たちが暮らすこの時代も、やがて流山市の歴史となっていきます。ぜひ、皆さんも先人たちが残した文化財や歴史に触れ、昔の流山にタイムトラベルしてみませんか。歴史や文化に触れて昔の流山を思い描いてみませんか流山市長井崎 義治流山小学校の玄関に飾られている鬼瓦(市指定有形文化財) 流山小学校正門地域の歴史や文化を知ることで豊かな人間性を育みたい新川小学校校長 高橋 千代美さん 流山おおたかの森駅周辺では、開発に伴う発掘調査が行われました。現在のおおたかの森小・中学校から駅にかけての場所では、1,600年前の村の跡が見つかっています。 100軒を超える住居からは、土器などの生活用品が出土しており、大きな集落があったことが分かりました。その周辺は、水や食料を調達しやすい環境にあり、古代版ニュータウンづくりが進められていたと考えられています。今も昔も住みやすい街(ムラ)だと言えるでしょう。1,600年前のニュータウン出土土器(西初石五丁目遺跡)[公益財団法人千葉県教育振興財団承諾] 明治6年( 1873年)に開校し、明治37年( 1904年)にこの地に建て替えられた新校舎の遺産が、校舎の屋根に掲げられていた鬼瓦(市指定有形文化財)です。伝統のあるこの学校の歴史は、毎年、6年生が新入生に紹介するのが恒例となっています。 地域の皆さんにはボランティアとして植木の剪せんてい定から、書道や読み聞かせなどの学習・昔遊び体験の指導など、学校づくりにご協力いただいています。地域の文化や伝統を学ぶ田植え体験もそのひとつ。12月の収穫祭では「もちつき」などを楽しみます。 明治35年( 1902年)に新川尋常小学校となった時に植えられたのがシンボルツリー「糸ヒバ」の木。「すくすくと伸びるように」という地域の方の願いが込められています。 学校の歴史や地域の文化を知って体験することが、穏やかな子どもたち、人の温かさを感じられる豊かな人間性の育成にもつながっていると感じています。伝えるひと・受け継ぐひと文化財伝えるひと・受け継ぐひと文化財糸ヒバの木「新川」「學」の文字の入った鬼瓦(市指定有形文化財) 流山小学校は、明治5年( 1872年)に近代教育制度の整備とともに開校した県内初の小学校です。明治22年( 1889年)に創立地の常与寺内から現在の所在地に移転し、流山尋常小学校となりました。新築された校舎の瓦かわら葺ぶ きの屋根には、学校を一文字で表す「がっこう」の文字が刻印された鬼瓦(市指定有形文化財)が飾られました。現在、流山小学校の玄関内には、その鬼瓦が展示されているほか、当時の県知事から寄贈された「流山」の額(市指定有形文化財)が掲げられています。また、明治時代に造られた正門は、花か崗こう岩がんの門柱と唐草模様の装飾が施された門扉からなる優美な欧風デザインで、当時の姿のまま、子どもたちの登下校を見守っています。 昨年春に流山小学校に着任し、代々大切に保存されてきた本校の歴史を示す多数の資料に目を通していくうちに、本校が地域の方々に深く愛されてきたということが分かってきました。明治22年に建てられた校舎の建築費の多くが、地域の方々の寄附によって賄われたと聞きます。学校の威厳を表すかのような鬼瓦や正門には、教育に対する皆さんの期待が込められていたのではないでしょうか。「ずっと守り続けられてきた大切なものが、この流山小学校にあるんだよ」と、子どもたちに伝えていきたいと思います。地域の方々に愛されてきた伝統の素晴らしさを伝えていきたい流山小学校校長 大重 基樹さん