ブックタイトル広報ながれやま

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概要

広報ながれやま

7 市制施行50周年記念特集 流山市に移り住んだのは、昭和50年頃。当時は30代初めで仕事も忙しく、流山のことは詳しくありませんでした。仕事も落ち着いてきた頃、流山のことにも関心を持ちたいと始めたのが、利根運河周辺でのジョギング、そして江戸川のカヌーでした。カヌーに乗って江戸川を下っているとき、河岸の樹木から突然大きな羽音を立てて数羽のカルガモが飛び去りました。その迫力に魅せられ、流山初の野鳥の会の創立に関わることになり、その縁で市野谷の森のオオタカ保全活動に加わりました。市野谷の森での活動が一段落した頃、利根運河の自然史と歴史調査を独自に始めました。 利根運河は、周辺に緑の森や湿地が多く、生態系も豊かで野鳥や植物の自然観察が楽しめます。野鳥の観察なら2~3時間で30~50種、植物なら40~50種が観察できるほど豊かです。それは、この地域の自然地形や開削の歴史に由来します。利根運河開削前、この地域には大小の谷や津つが何本もあって、その景観を東深井では「九つ十く九も出で張はり」と呼んでいた記録があります。この地形を上手に利用して利根運河が掘られ、関東水運の要となったのです。 住宅地の近くにありながら、川・森・低湿地・草地などの多様な自然条件がそろい、生態系豊かな場所は大変珍しく、貴重です。近くに運河駅がありますから、駅を起点に東深井側では、東京理科大学理窓公園を散策する右岸コースと、東深井近隣公園・森の図書館を経由し、柏大橋を渡って戻ってくる左岸コースがおすすめです。西深井側では、窪田酒造や運河大師を通り運河河口公園を回って戻る右岸コースも良いですが、料亭新川の脇から西深井の小道を、石造物などを訪ね歩く左岸コースも魅力的です。 子どもの頃、私が住んでいる地域は流山町に合併する前の八木村でした。当時、美田団地となる場所は田んぼで、大堀川の辺りは松林だったことを覚えています。戦後間もない頃は中学校を越境入学する人も多く、私も初石駅まで舗装されていない道を自転車で走り、松戸まで通ったものでした。高校や大学は都内に通い、都内で記者の仕事に就きました。市制施行当時は地元を離れていましたが、常に流山のことは気にしていて、ドーナツ化現象による影響をそれほど受けず、人口がゆるやかに伸びているな、と故郷のことを色々と調べていました。 流山市に戻ってきたのは昭和54年頃。八木郵便局の局長としてでした。しばらく地元を離れていたため、「市民」になるために色々な方に流山のことを教えてもらったものです。郵便局は地域密着の仕事。地域に協力することが重要と考え、市民の方が郵便局に来やすいよう、現在の八木郵便局に建て替えたりしました。その間、一番の変化は交通と人の流れです。柏に住宅ができたこともあり、地元の人だけでなく、ここを通過する人も郵便局を利用するようになりました。そのため、局員を増員したり駐車場を増台したり、ATMを入れたりと、その対応に追われたのを覚えています。また、お客様の対応も個人中心から企業が増え、例えば年賀状の注文も企業で取りまとめて発注されると、売り切れどころか在庫では足りない状況になったこともありました。 前職の影響もあって写真を撮り続けていますが、印象的だったのは、市民まつりでの武者行列ですね。風景の撮影より人が生き生きとしている場面を撮るのが好きで、最近では、市内でジャズイベントが多数開催されるようになり、よく撮影しています。また、流山おおたかの森駅も絶好の撮影ポ東葛自然と文化研究所所長 新保 國弘さん鏑木 忠良さんプロフィール●365日、違う表情が楽しめる 自然の宝庫●他の都市を見ている立場から、注目される立場に「眺望の丘」から運河を越えて理窓公園を望む 意識も意欲も高い流山市民。今回 代々流山にお住まいの方の4つの観点  利根運河の自然や生物は、毎日違う表情を見せ、四季折々の野鳥や植物、風景が楽しめます。また、利根運河の歴史も未知の部分がたくさんあり、調査テーマは無尽です。 これからは、自然と歴史を同時に楽しむイベントが行われるといいですね。それが自然環境や生態系の保全、そして歴史調査の発展、東京から人を呼び込むツーリズムとしての効果も生まれると思います。 自然と文化と歴史の3つの視点から地域の物語を調査・取材することをライフワークとする。流山市立博物館友の会や利根運河の生態系を守る会などに所属し、著書や研究報告なども多数執筆。現在は、流山市環境審議会会長も務める。 現在の八木北小学校の起源となった「鏑木小学校」を開いた、鏑木平馬・佐内を祖先に持つ。新聞記者を経て、平成15年まで八木郵便局長。翌年、法務大臣から委嘱を受けた人権擁護委員として平成28年まで12年間地域に貢献。イント。特に夕焼け時に光が重なった時は、なんとも言えない明るい未来を感じさせる印象を受けます。 都内でのポスター広告の掲出や東京オリンピックの関係で、いまや流山市は他の都市から注目される存在になりました。今後、外国の方が増えれば、流山市が日本の印象を決めることもあるかもしれません。これからは、そのような意識を人も街も持たなくてはならないと思います。これからも、人々が交流する写真を撮り続けられればと、楽しみにしています。