ブックタイトル広報ながれやま

ページ
5/8

このページは 広報ながれやま 市制施行50周年記念特集号 の電子ブックに掲載されている5ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

広報ながれやま

5 市制施行50周年記念特集 料理にうま味や照り・つやを与える調味料として、家庭の台所にある「みりん」。今では、白く透き通った色が一般的ですが、約200年前までは赤褐色の「赤みりん」がほとんどでした。文化11年(1814年)に、流山で醸造業を営んでいた、二代目堀切紋次郎が「万まん上じょう味淋」を、同じく醸造業の五代目秋元三左衛門が「天あっ晴ぱれ味淋」を開発し、透明なやまぶき色をした「白みりん」を売り出しました。この2つの白みりんは、流山の2大ブランドとしてその名をとどろかせ、宮中に献上されるまでになりました。 しかし、醸造業が競争の時代に入った大正中期には、「万上味淋」の堀切家は、現在のキッコーマン株式会社となる野田醤油株式会社の設立に参加し、「天晴味淋」の秋元家は単独経営の道を進みました。「万上味淋」は、キッコーマン株式会社が分社化した流山キッコーマン株式会社で「マンジョウ本みりん」として現代に味を伝え続け、「天晴味淋」は紆う余よ曲きょく折せつを経たのち一時的にその名は使われていませんでしたが、平成27年1月から、三菱商事グループの食品素材メーカー・MCフードスペシャリティーズ株式会社によって「天晴本みりん」として復活しました。大正以前のポスター(いずれも流山市立博物館所蔵)運河駅江戸川台駅初石駅利根運河流山おおたかの森駅常磐自動車道流山駅平和台駅流鉄流山線南流山駅JR武蔵野線 自然あふれる癒やしの場として親しまれている利根運河。平成18年度には土木学会が選奨土木遺産に、平成19年には経済産業省が近代化産業遺産に認定した日本初の西洋式運河です。 今から126年前、明治時代に複雑なルートで東京まで運ばれていた東北地方の物資を、安全で速く運べるようにと計画されたことが利根運河開削の始まりでした。開削に当たり、優秀な土木技師として白羽の矢が立ったのは、オランダ人技師のローウェンホルスト・ムルデル。彼の優れた設計・監督により、たった2年間という短い工期で開通に至りました。利根運河は最盛期を経て、次第に輸送方法が陸路中心になった影響などにより、昭和16年(1941年)にその役目を終えることとなります。 その後、利根運河通水100周年を迎える時期に、市民の皆さんの中で利根運河を蘇よみがえらせたいという機運が高まり、市と国は運河水辺公園を整備し、今こん日にちの姿へと生まれ変わりました。 現在では、毎月開催されている「うんがいい! 朝市」のほか、「桜まつり」や「利根運河シアターナイト」などの季節のイベントが行われ、また、桜や曼まん珠じゅ沙しゃ華げが楽しめる名所としても愛されています。 小説・漫画・テレビドラマなどで多数取り上げられ、ファンも多い「新選組」。江戸末期、動乱の時代に京都の治安維持に当たったその活躍はあまりにも有名です。そのリーダーである局長・近藤勇と、近藤を支え続けた副長・土方歳三。幼いころから行動を共にし、新選組結成前からの戦友の2人の今生の別れとなったのが、ここ流山なのです。 幕末の時代、新政府軍と幕府軍の戦いは熾し烈れつを極め、幕府軍の一大戦力として奮闘していた新選組でしたが、形勢が不利になり敗走を余儀なくされます。流山の地にたどりつき、新政府軍に囲まれた近藤は投降を決意。最後まで投降を思いとどまるよう説得を試みた土方でしたが、近藤の意志を崩せず、隊士たちを率いて会津へと逃走しました。 当時、近藤が陣を敷いたといわれているのが、常与寺の裏手。現在は「近藤勇陣屋跡」(=写真)として整備され、流山が平成16年に放送されたNHK大河ドラマ「新選組!」のロケ地となったこともあり、市内外の方が多く訪れる場所となっています。新選組局長・近藤勇と副長・土方歳三今生の別れの地和食には欠かせない存在「白みりん」誕生の地歴史や文化財などが多く残る流山本町界かい隈わい 流山本町には、国登録有形文化財(注1)や、市の「流山本町・利根運河ツーリズム推進事業補助金」を活用し、古くから残る建築物などを活用した店舗(注2)、100年間変わらず市民の足として走り続ける全長5.7キロの単線・流鉄流山線などがあります。夕暮れ時には、84基の切り絵行あん灯どんが幻想的な街並みを演出し、まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができます(=写真)。 また、「流山の富士山」といわれ、県内トップクラスの規模を誇る富士塚がある浅間神社や、明治期に流山が県庁所在地だった頃の教員養成機関「印旛官員共立学舎」が置かれた常与寺などがあります。注1:呉服新川屋店舗、寺田園旧店舗(万華鏡ギャラリー・見世蔵)、笹屋土蔵(カフェ+ギャラリー灯と環わ)、清水屋本店店舗兼主屋注2:レストラン・丁字屋 栄、カフェ+ギャラリー灯環、流山あかり館・彩いろどり、管理栄養士のビストロ・EエイゼンIZEN、喫茶店・tトロンronc※その他の名所など詳細は、市ホームページ( ID 30192 )をご覧ください。?赤城神社?近藤勇陣屋跡?常与寺?浅間神社 など流山本町界隈