ブックタイトル広報ながれやま

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概要

広報ながれやま

特集号 平成29年1月1日?21960年代昭和42年市制施行。県下20番目の市として誕生(人口4万2649人)昭和44年人口が5万人を突破。文化会館がオープン1970 年代昭和46年市の木「つげ」、市の花「つつじ」に決定昭和47年北部公民館がオープン昭和48年国鉄(現・JR)武蔵野線が開通。南流山駅が開駅昭和50年保健センター(現・シルバー人材センターの場所)、東部公民館がオープン昭和51年市民総合体育館(平成28年に建て替え)がオープン商工会青年部により昭和20年代まで行われていた「とうろう流し」を二十数年ぶりに復活させ、併せて初の花火大会を開催昭和52年市制施行10周年。市民憲章を制定。福島県相馬市と姉妹都市に昭和53年図書館・郷土資料館(現・博物館)がオープン。市民まつりを初開催昭和54年人口が10万人を突破。初石公民館がオープン1980 年代昭和56年南流山センターがオープン昭和57年流山市民の歌を制作(作詞: 岩谷時子、作曲: いずみたく)昭和58年県立流山青年の家(現・生涯学習センター)がオープン昭和59年常磐新線(現・つくばエクスプレス)誘致署名運動開始昭和60年常磐自動車道開通。商工会館がオープン★常磐新線(現・つくばエクスプレス)の市内通過が決定昭和61年流山警察署が開署昭和62年市制施行20周年。平和都市宣言市役所新庁舎(現・第1庁舎)、新保健センターが落成昭和63年サロンコンサートを開始(平成28年12月で、344回開催)1990 年代平成2年流山勤労者総合福祉センター(現・コミュニティプラザ)がオープン平成3年流山工業団地が完成。市総合運動公園で流山トーテムポール国際大会を開催市民ふれあいセンター「相馬ユートピア」がオープン。姉妹都市交流の一環として、平成15年度まで市内中学校の林間学園として活用(平成20年3月に閉館。現在は民間の福祉施設)平成4年常磐自動車道流山インターチェンジがオープン昭和63年から建設が進められていた常磐自動車道流山インターチェンジがオープン(平成4年)市民まつり開始当初は、姉妹都市・相馬市の歴史を再現した武者行列も(昭和53年)流山市誕生の日。田中市長(当時)が「流山市役所」の庁舎プレートを除幕(昭和42年)流山市50年のあゆみ 流山市と秋葉原を最速20分でつなぐTX。市民の皆さんにとって欠かせない鉄道ですが、市内3駅を通るルートが決定されるまでには、誘致に関わった方々の並々ならぬ努力があったのです。 TX開通の始まりは、常磐線の恒常的な混雑緩和のため、新しい鉄道の必要性が叫ばれ始めた昭和50年代後半。千葉県が考えた6ルート案のうち、本市を通る案は1つのみ。本市の新たなまちづくりにとって、東京都心との直結が必要不可欠との考えから、全市を挙げて誘致活動を行いました。 当時の秋元市長はじめ関係者のご尽力により、昭和60年7月の運輸政策審議会の答申では、常磐新線(現・つくばエクスプレス)は、都市交通対策上の喫緊の課題と位置付けられ、そのルートとして本市通過が正式決定。平成元年には、鉄道新線の整備により住宅地が大量に供給されることが見込まれる地域において、宅地開発と鉄道整備を一体的に推進するために必要な特別措置を認める法律いわゆる「宅鉄法」が制定。市では、流山の未来を大きく左右する交通プロジェクトとして、その建設促進に力を尽くしてきました。 平成3年3月に事業主体となる首都圏新都市鉄道株式会社が設立され、市内では、平成10年5月に建設工事が着工。地権者の皆さんのご協力、関係機関のご努力により、平成17年8月、待望のつくばエクスプレス開業を迎えたのでした。市民まつり会場でも誘致を呼びかける署名活動が行われる